歴史を学ぶ

民間の有力者に権限を委譲してこれを現地赴任の筆頭国司(受領)が統括することにより新たな支配体制を構築するものであり、
これを王朝国家体制という。王朝国家体制期は、通常古代の末期に位置づけられるが、分権的な中世の萌芽期と
位置づけることも可能であり、古代から中世への過渡期と理解されている(日本文学史研究においては
「中古」という表現も用いられている)。立太子は行われず(通常、継承順位が高ければ生まれると同時に行われた)、
日々の暮らしに困憊するほどであった。

近距離での引っ越し作業について

以後、時の権力者となった桓武天皇の影響により、天武系の皇族は
皇位継承から排除された。奈良時代は天武系の、平安時代桓武天皇に続く天智系の時代であったといえる。
政治権力の集中化も進めていき、そうした中で応天門の変(866年)が発生した。この事件は、
藤原氏による他氏排斥と理解されることが多い。良房執政期を中心とした時期は、政治も安定し、
開発奨励政策や貞観格式編纂などの成果により、貞観の治と呼ばれている。